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辻村史朗さんに “酒場”で 学ぶ 名碗の勘どころ「井戸茶碗」(前編)

骨董古美術メディア「目の眼」(編集部)

辻村史朗さんに “酒場”で 学ぶ 名碗の勘どころ「井戸茶碗」(前編)
辻村史朗さん

目の眼 連載|辻村史朗(陶芸家)・永松仁美(昂KYOTO)

*この連載記事は、『目の眼』電子増刊0号に掲載されています。

本稿は、『目の眼』誌に掲載された「名碗私論」の一篇を再録したものです。

陶芸家・辻村史朗は、古陶磁や茶碗への深い眼差しを持ち、自らの制作においても長年にわたり名碗と向き合ってきました。本対談では、本サイト運営メンバーでもある永松仁美との語らいのなかから生まれた、茶碗についての率直な考察を収録しています。

辻村自身、「自分は学者でも研究者でもなく、歴史に詳しいわけでもない」と語ります。しかし、その言葉の端々には、土に触れ、焼きものを作り続けてきた者だけが到達し得る洞察が宿っています。

ここに収めるのは、あくまでも辻村史朗個人の見解であり、名碗をめぐる自由な私論です。茶碗を愛する人々にとって、新たな発見や思索のきっかけとなれば幸いです。

井戸茶碗は雑器である

  • 辻村史朗さんに “酒場”で 学ぶ 名碗の勘どころ「井戸茶碗」(前編)
    辻村史朗さん
永松

辻村さんはこれまでもさまざまな作品を手がけながら、茶碗だけは一貫して作り続けていますが、いまは井戸茶碗を精力的に製作されてますね。

辻村

井戸は若い頃から作り続けてるライフワークみたいなもんやからね。

永松

何回め、いえ何十回めの挑戦ですか?

辻村

そんなん数えたことないわ(笑)

永松

その度に何千個、何万個も焼いて、工房は井戸茶碗だらけですね。

辻村

その前は志野茶碗だらけやったな。

永松

毎回、何か具体的なテーマというか課題があるんですか? それが達成できたらまた別の茶碗に挑戦するんですか?

辻村

ここをこうしたい、という細かいテーマはないんやけど、頭ん中にイメージが浮かぶと無性に作りたくなるんや。でもそれは1〜2個作ってできるもんやない。昔の職人のように朝から晩まで土を挽き続けて数作ってるうちに、ぽっとできるもんやから。それも焼いてみたら違う、ということもあるし。

永松

井戸茶碗ってそんなに難しいものなんですか?

辻村

つくりで言うたらそんなに難しいもんでも複雑なもんでもないよ。材料も釉薬も特別なもんやないし、井戸は、どっちかいうと使えたらいいんやという程度で生まれたもんや(笑)

永松

え? 下手という訳なんですか?

辻村

ろくろの中心なんかユラユラぶれてるやろ。一つとして同じものがない、というのは創造性の発露やなくて、作為がないということや。当時は陶芸家やなくて職人が作ってるやろ、同じもんをきっちり作ることが出来ない職人のおもしろさなんや。あれを芸術とかアートとして評価する偉い人もいるけど「神器」いうのは違うと思います。井戸茶碗は雑器やった、というのが私の結論です。

永松

いまでは評価が高いですけどね。

辻村

でも当時はまったく評価されてない。後世同じように作ろうとした人も現地にはいなかった。

永松

日本でだけ持て囃されたんですね。でも現代では研究も進んでるんでしょ?

辻村

そこまで進んでへんよ、知らんけど。近代になって、作ろうとした作家もおるけど、当時の作品以上のものを作った人を見たことないぐらい。

井戸茶碗の約束

永松

井戸茶碗には約束事があるんでしょう? たしか、①肌が枇杷色で、②轆轤目があって、③高台には梅花皮があって、④高台は竹節状で、⑤兜巾があって、⑥細かな貫入で、⑦見込みが深くて茶溜まりがあるとかなんとか。

辻村

あんなのは茶人が後付けで言っただけ。井戸茶碗を作る職人はいわゆる賃引と言って、一個成形して今で言う5円とか10円とかの安い駄賃で働いてました。とにかくスピーディに数をこなすことが重要で、強く、短く、速く挽く。だから轆轤目は当然立つし、その線数は少ない。それから釉薬をつけるときは高台を指数本で持って桶にズブっと沈める。この釉薬がヌルヌルで滑りやすいから、高台の先端に凹凸をつけたのが竹の節状なんです。

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辻村

高台も速さ重視で削るから兜巾が残る。あと何やったっけ? 茶溜まりね、これは最初よく分からずに作ってたけど、轆轤作業のあと、高台を削ったときに、底切れ(底割れ)しないように、見込の奥と高台の付け根の部分を上下左右からぐっと押して土を締めるんですよ。その力加減で、見込みの中心部がたわんでまるく沈む、これを茶溜まりと言うてるんですが、作り手から見たら見込みと高台の土を締めるという、茶碗作りの基本作業なんですよ。

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永松

枇杷色は、その土地の成分ですか?

辻村

それもあるね。枇杷色になりやすい土だったことに加えて、さっき言うたように強く、短く、速く挽くことによって土がぎゅーっと伸びて、素地の密なとこと疎なとこができるやろ。あとは経年変化やね。使い込んでいくと疎な部分に景色として染みこんで色合いに奥行きが出てくる。永いこと作ってると、最初に焼きあがったときはどうにもならない色をしてるんやけど、使い続けてるうちに味がついて、景色が生まれるんやろね。だから自分もそうやって茶碗を育てたいのと、どんな条件で色合いが変わってくるのかを見届けたいんで、茶を飲んだりお酒飲んだりしてます。最近は赤ワインがええね、使った後わざと洗わずに置いて、ちょいとカビが生えるまで放って置いてますよ、ほら(笑)

永松

いやぁー(笑)、読者の方はどうかマネしないでね。でも確かにいい肌になってますね、作ったばっかりですのに。

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ライバルは喜左衛門井戸

永松

でも李朝の頃は、他でもこういう茶碗を焼いてたわけでしょう? 土味はそれぞれ違ったのでしょうけど、日本に井戸が残ったのはなぜですか?

辻村

韓国には残ってないんだよ。窯跡も製法もほぼ消えて、日本でだけ残されて評価された。桃山時代の茶人たちの間で侘びの世界としてブームとなった。日本で言えば山茶碗みたいなもんですよ。

永松

なるほど、そうやって考えてみると、雑器というのは納得ですね。

辻村

井戸を作った土地では、土も釉薬も普通に手に入るもの。1150度くらいで焼けますし、技術力がそれほどなくても作れた。あとは色味やけど、これは土だけでなく煙、つまり酸化か還元かでガラッと変わります。ここは唯一の作為のいるところで、枇杷色にするか鼠色にするかを調整してますね。私はずっと電気窯を使うてます。電気は普通に焚くと完全酸化やけど、そこにちょっと還元でガスを入れる。他の作家や評論家なんかは薪窯やないといかんと言いますけど、私は電気がいちばん調整しやすくていいね。

永松

昔の人はどんな窯でした?

辻村

窯いうて、穴窯から連房式登窯に進化する途中の長い窯。すぐに連房式に変わっていきます。

永松

蛇窯から変わってしまったから井戸茶碗も残らなかったのかなぁ。ところで、辻村さんがいちばん好きな井戸茶碗は何ですか?

辻村

やっぱり喜左衛門かなぁ。

永松

ある人から「よう写したはりますね」と言われて怒ったんですよね。

辻村

喜左衛門は好きやけど、再現をしたいわけやない。あれを超える井戸を作りたい、というのが目標やから。だから作り続けるんです。写しは弱くなるだけで、本歌を越えられんからね。

永松

そんなに好きやのに、展覧会へ行ってもチラッと見たら帰られるんですよね。

辻村

1分やね。もう頭の中にイメージは入ってるからそれと目の前の実物と雰囲気が変わってないか、とか、今作ってる茶碗とどこが違ったやろか、くらい確認できたら十分。うまく言えへんけど

永松

青春ドラマで主人公の試合を偵察にくるライバルみたいな感想ですね(笑)。

辻村

さっきも言うたように、工程以前の問題として、井戸茶碗自身が分からないから作り続けるんです。あとは当時の職人と同じ環境に身を置いて、その心境で作ることができるかどうか。そのために数を作り続けるしかないんです。昔の職人は賃金をもらいたいから千個万個作って喜左衛門ができた。私は理想の一個を作りたいために千個万個作り続ける。その違いなんですよ。

*この連載記事は『目の眼』電子増刊0号、骨董 古美術ウェブマガジン「目の眼」に掲載されています。
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