About

辻村史朗『器と心』

小屋を造ることも、絵を描くことも、
焼物をすることも、売りにゆくことも、
自分にとっては
同じ一つのことなのです。

Overview

辻村史朗は、
唯一無二なる世界的陶芸家である。

1970年代初頭より奈良の山中に拠点を構え、
全てゼロから生活と制作を切り離すことなく、
独自の実践を続けてきた。
国内外での展覧会や美術館での発表を通じて、
その活動は広く紹介されてきた。

本ウェブサイトでは現在の作品の紹介をはじめ、
これまでの活動だけで無く資料を
アーカイブとして集積し、
辻村史朗の制作の軌跡を記録していく。

Profile

辻村史朗

辻村史朗

Shiro Tsujimura

1947年、奈良県御所市生まれ。1971年より、独学で作陶を始める。1972年、奈良市水間の山中に土地を購入。窯や作業場、茶室、家など廃材を集め自力で建てる。焼きものを中心に、絵画、書なども創作する。メトロポリタン美術館をはじめ、欧米を中心に、多数の美術館・博物館に作品が収蔵される。海外でも制作する。ロンドン、ニューヨーク、パリなど、諸外国の美術館・博物館、ギャラリー等での展示も行う。世界各地に多くのコレクターが存在する。

作品所蔵美術館、博物館など

アメリカ

アクランド美術館(ノースカロライナ大学)、ボストン美術館、ブルックリン美術館、シカゴ美術館、クリーヴランド美術館、フリーア美術館、メトロポリタン美術館、ミネアポリス美術館、ノースカロライナ美術館、フィラデルフィア美術館、サンフランシスコ美術館、スペンサー美術館(カンザス大学)、クラーク財団、パーク財団

ドイツ

ベルリン国立アジア美術館、フランクフルト工芸美術館

日本

裏千家茶道資料館(京都)、MIHO MUSEUM(滋賀)

スウェーデン

ストックホルム美術館

イギリス

大英博物館

主な展覧会

1970年代から現在に至るまでの主な展覧会の記録は、こちらからご覧いただけます。

Chronology

  • 1947

    5月6日、奈良県御所市で生まれる。牧畜を営む家の、4人兄弟の四男。「歴史に名を残す男となる」よう名付けられる。「ふみろう」と読むはずだった。

  • 1951

    4歳

    幼稚園では絵を描くことが好きだった。先生におもちゃの絵をほめられ、嬉しかったという。

  • 1963

    16歳

    奈良県立五条高等学校に進学。絵を描き続ける。「日本のゴッホ」と呼ばれた画家・長谷川利行のような絵に憧れる。画家を志し東京へ。

  • 1966

    19歳

    「絵かきになるなら東京藝大」と、東京藝術大学を受けて不合格。多摩美術大学に合格するも入学せず。美術家名簿などで無作為に選んだ画家に弟子入りを乞うが、門前払いされる。自己を追求する気持ちから、禅に関心を持つようになる。

  • 1967

    20歳

    曹洞宗の禅寺・三松寺で小僧生活を始める(奈良市、奈良)。住み込みで修行に励む。

  • 1968

    21歳

    雲水となり、行脚修行に出る。東北地方をまわる。

  • 1969

    22歳

    再び東京へ。絵を描くため、鷹美術研究所(目黒、東京)に入所。デッサンやスケッチ、クロッキーなどに没頭しつつ、油絵を描き続ける。研究所は自由な気風で、研究生たちが絵画、陶芸、彫刻に励んでいた。その環境のなかで、茶盌など焼きものを制作することも。ここで杉山三枝子に出会う。

  • 1970

    23歳

    日本民藝館(目黒、東京)で大井戸茶盌を観覧。朝鮮の無名の工人がつくった器に感激する。

  • 1971

    24歳

    焼きものをすると決める。御所市の生家に戻り、牧場を手伝いながら作陶を始める。早朝に牛乳配達、日中は家畜の世話などをして、その後深夜まで、茶碗や花入などをつくり、焼く。ろくろは耕運機の車輪にモーターをつけた自作を使う。

    焼きものを始めて約3ヶ月後、南禅寺や京都市美術館の前、大原の田んぼのあぜ道など、露店で自作を売るように。杉山三枝子も行動をともにする。史朗、三枝子別々の場所で売り、日銭を稼ぐ。7年間、その生活を続ける。

  • 1972

    25歳

    1月、奈良市水間の山中に約1000坪の土地を購入。焼きものをするには広い場所を、自由な創作活動のために人里離れたところで、と考え、探した場所。真冬の山中にテントを張って、杉山三枝子と2人、山を切り開くところから始めた。土木、大工、左官など、すべて独学で、時に友人たちに手伝ってもらったりしながら、窯、茶室、家などを建てる。瓦や木材、壁土など素材はもらったり、拾ったりして集める。8月、約40㎡の素朴な家を完成し、住み始める。その後、アトリエ、作業場なども順に建てていく。2年に1つ、2ヶ月を費やすペース。

  • 1973

    26歳

    杉山三枝子と結婚。三枝子は秋田出身で、同じく4人きょうだいの末子。

  • 1974

    27歳

    エッセイ「器と心」を執筆(『大阪消防』1974年9月号掲載)。

  • 1975

    28歳

    長男・唯が生まれる。

  • 1976

    29歳

    次男・塊が生まれる。

  • 1977

    30歳

    この年までに、窯を10基ほどつくる。直焔式の穴窯がほとんどで、最初から重油(廃油)を用いて焼く。建てる場所の傾斜、窯の形状の違いによる変化を実験的に試みる。ただし、テストピースをつくったことは一度もない。

    5月、自宅で初の展覧会を開催。家、茶室、展望台など敷地内の4つの空間で行う。案内状は和紙に手書き、作品写真も手貼りで、1点ずつ異なる。大盛況のうちに終了。

    自宅の展覧会に、大阪の歯科医・額田晃作が訪れる。

  • 1978

    31歳

    額田晃作の紹介で、三越百貨店大阪店(高麗橋、大阪)で陶展を開催。

    三越百貨店大阪店の陶展で、京都の古美術商・近藤金吾の目にとまる。

    伊賀、信楽や志野などの作品をつくり始める。

  • 1981

    34歳

    東京にて、焼きものと絵画の展覧会を行う。これより毎年、多い時は年に7回ほど個展を行う。

    羅漢寺の北条五百羅漢を見に行き、感銘を受ける(加西市北条町、兵庫)。以降、羅漢のモチーフを花入や壺に釘彫したり、絵画に描くなど、作品に取り入れる。

  • 1982

    35歳

    北条五百羅漢を機に、再び絵を描き始める。敷地内で一番の高所にある展望台を画室に、何百枚と描く。材料はキャンバスと油絵の具で、黒は木炭を砕き、パウダー状にして使う。油絵の具の白が接着剤代わり。ミックスメディアだが日本画の技法も入っており、金箔も使うなど、独自の技法。
    パキスタンに行き、シルクロードの絵を描くようになる。海外に出るのは仕事など必要に迫られた場合で、個人的な旅行は一度もない。その地に触発されて、絵のモチーフが生まれたりする。

    「古美術 近藤」で重要無形文化財保持者(人間国宝)の陶芸家・荒川豊蔵に出会い、作品を絶賛される。試作した花入を購入したいという荒川の申し出を断る。

  • 1983

    36歳

    写真家、現代美術家・杉本博司の企画で、ニューヨークで個展を開催。初の海外展示。以降、アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、ベルギー、ドイツなど、海外での個展が相次ぐ。

  • 1984

    37歳

    MOA美術館に粉引茶盌50盌を寄贈。

  • 1986

    39歳

    古美術商・藪本宗四郎が高く評価し、茶碗など数点を買い上げる。

  • 1987

    40歳

    クリーヴランド美術館(オハイオ、アメリカ)が作品を買い上げる。

  • 1990

    43歳

    この頃より、電気窯を使い始める。還元の調整にはガスを使う。

  • 1991

    44歳

    スペンサー美術館(カンザス、アメリカ)が大壺を買い上げる。

  • 1993

    46歳

    イギリスのウエスト・デヴォンに3ヶ月滞在。穴窯をつくり、器を焼く。初めて器の表面に線彫し、織部のような絵をつける。

    長男・唯が作陶を始める。

  • 1994

    47歳

    前年、ウエストデヴォンで滞在制作した器をロンドンのギャラリーで展示。ミュージシャンのエリック・クラプトンが訪れ、信楽の丸壺と引出黒2点を購入。

    次男・塊が作陶を始める。唯、塊の2人に知識と経験を惜しみなく伝える。

  • 1997

    50歳

    この頃より、書を始める。

  • 1999

    52歳

    美術館では初となる個展を茶道資料館で開催。この館としては、現代作家の個展は2人目。

  • 2003

    56歳

    機械ろくろで丸壺をつくり始める。

    アメリカでの個展が相次ぐ。

    メトロポリタン美術館にコレクターが大壺を寄贈。メトロポリタン美術館では、スライドを使って自身の陶芸について講演を行う。同講演は、サンフランシスコの東洋美術館でも催される。

  • 2006

    59歳

    ベルギーのインテリアデザイナー、古美術品収集家・アクセル・ヴェルヴォールトが水間を訪問。

  • 2007

    60歳

    第52回ヴェネチア・ビエンナーレのアクセル・ギャラリー企画でルーチョ・フォンタナ作品と破壺のコラボレーション展を開催。ヴェネチアに滞在する。

  • 2009

    62歳

    パリの個展にシラク大統領(当時)が訪れ、電気ろくろを用いたデモンストレーションを何時間か見学する。主催者側が大統領に引出黒(楽タイプ)を進呈。

  • 2011

    64歳

    『たけしアート☆ビート』第3回(NHK BSプレミアム)に出演。

    写真家・荒木経惟との2人展のため、1週間ケルンに滞在する。

  • 2012

    65歳

    フランス2都市とアメリカで、壺を中心とした個展を開催。

    京都市内の3会場で辻村史朗「土」展を同時開催。

  • 2013

    66歳

    オーストラリア・ヴィクトリアでの制作と展示。備前緋襷の色を出すべく、藁が入手できない代わりにレモングラスを使って制作。

  • 2018

    71歳

    シドニー滞在中、シドニー大学で次男の塊とともに、3日間で器を制作。

    ベルギー・アントワープにて、初となる書のパフォーマンスを行う。

  • 2021

    74歳

    『プロフェッショナル仕事の流儀〈作ることが、生きること 辻村史朗〉』(NHK)放送。再放送のほか、ナレーションなしのバージョンも放送される。

  • 2022

    75歳

    日本の美術館で2回目となる個展を開催。国内では23年ぶりで、2館で展示を開催。50年の創作を振り返る、大規模な回顧展としては初となる。また、美術館に続けて、京都のギャラリー2ヶ所でも展示を同時開催。

A Message from the Executive Committee

このウェブサイトは、辻村史朗の作品と活動を、長い時間軸の中で記録し伝えていくことを目的として、実行委員会により構成・運営されています。

辻村史朗の作品は、時間とともにそれぞれに景色を変えながら、さまざまな場所へと広がっています。
本サイトでは、現在の作品だけでなく、過去の制作や展覧会、映像、テキストといった資料をあわせて集積し、その歩みをできるだけ正確に残していくことを大切にしています。

また、販売された作品についても、その来歴が記録として残り、後の時代に読み継がれていくことを目的とすることを願っています。作品と出会う入口であると同時に、何度も立ち返ることのできる資料の場となれば幸いです。

実行委員会は、辻村史朗の表現がこれからも適切なかたちで共有され、次の世代へと手渡されていくよう、継続的に本サイトを更新していきます。

永松仁美

Acknowledgements

本サイトの運営にあたり、作家をはじめ、下記の諸機関、および個人の方々からの多大なるご協力を賜りました。
心より深く御礼申し上げます。